旅の追憶diary

canon一眼レフカメラ撮影の記事と写真です。

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隠岐の旅情 Oki's travel information diary japan 

 隠岐の島は島根県に属し、島根半島から約50~60Km日本海に浮かび四島からなる島です。知夫里島(ちぶりじま)、西ノ島中ノ島の三島を島前(どうぜん)と呼び、四島中、最大の島である島後(どうご)と、これに人の住んでいない小島が200前後の隠岐諸島の総称です。島に渡るには、鳥取県境港市島根半島七類港から隠岐汽船のフェリーで約2時間30分、高速艇で約1時間です。また大阪から、一番最大の島、島後に飛行機が飛んでいます。(隠岐世界ジオパーク空港)。歴史的には聖武天皇の時代(724年頃)に遠流(おんる)の地と定められ、それ以来、著名な人々が隠岐に流されました。承久の乱で公家と武家の衝突により完敗した後鳥羽上皇は、わずかな供を連れ、隠岐に着後し、19年の憂愁の日々を送り60歳で崩御しました。また鎌倉時代、幕府と皇権の復活を目指す争いに敗れた後醍醐天皇隠岐に配流され、島後の西郷町池田にある「国分寺」境内に行在所の碑があり、島前西ノ島町別府にも黒木御所跡という碑があります。その後、島民らの手助けにより、隠岐を脱出し、京に戻りました。隠岐の島は、火山活動によりできた島で、1963年に大山・隠岐国立公園に指定され2013年にはユネスコ世界ジオパークになりました。壮大な海の浸食により島後の白島海岸、島前の知夫里島知夫赤壁、西ノ島の國賀海岸は絶景です。とりわけ國賀海岸の摩天崖日本海の海蝕を受け断崖絶壁の絶景が続き、遊覧船から見上げる絶壁は圧倒する威圧感でのしかかってきます。陸からは断崖の頂上まで登り下を覗くと、直下に深い海が迫り、遊覧船がおもちゃのように見えます。また通天橋と呼ばれ、日本海の荒波に浸食されて出来た橋は、自然の作りだした芸術品です。 私が生まれ育ったのは西ノ島で、記憶に残っているのは、深夜、東京文化放送の「走れ歌謡曲」を聞くのが楽しみでした。

         「みなさん コロナが終息したら 隠岐に ござらっしゃい」

 

 

 

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